名物

小江戸・川越名所

ウェルカム・メッセージで終わるんじゃないかと心配してくださった皆さん、お待たせしました。
いよいよ川越の案内を始めます。
ここでは川越の名所と呼ばれるものの中から、個人的に思い入れや思い出があるところを中心にピックアップして書いていきたいと思います。

時の鐘

時の鐘写真

川越といえばこれ! のランドマークタワー。
大きすぎず小さすぎず、ほどよく絶妙なサイズ感の鐘である。
自動鐘突き機という、どこの誰が製造してんだというレアな最新装置を組み込んである。それはそのまま、このホームページのタイトル「時計仕掛けの鐘の音」の由来でもある。
制作開始当初、まだテーマも決まってなかった頃に、映画「時計仕掛けのオレンジ」っぽいテイストのアバンギャルドかつファッショナブルな格好良いサイトを作ろうと密かに企てていた。それがどこをどう間違ったのかご当地紹介サイトを作ることとなってしまい、その名残惜しさから無理矢理こじつけたのがこのタイトルってわけだ。早々に脱線だ。

機械化はやはり諸行無常とはいえ、昔も今も変わらず時を知らせるのはやはり感慨深い。
気候条件がばっちりだと、びっくりするほど遠くまで聞こえる。
斜め向かいにある「手造りサンドイッチ ちちぶや」は必食。子供の頃からずっとこの場所で店を開いている気がする。「手作り」ではなく「手造り」であるところにレトロな味わいを覚えてしまう。
味うんぬんではない、映画「ALWAYS 三丁目の夕陽」的な味わいに涙がにじむ。一秒も観たことないけど、にじむものはにじむ。

蓮馨寺

おびんづるさま

市内に数多くある寺院の中でも、個人的に最もお気に入りの寺。
体をなでて触ると同じ箇所の容態が良くなる「おびんづる様」なる像が鎮座しており、幼少期に祖母から何百回と頭なでを強要させられた。

川越祭りともなると、見世物小屋やお化け屋敷、屋台などが敷地内に乱立する。
同時に、本堂の裏は中高生カップルの溜まり場になり、「青春」としか言いようのないスイーツパラダイスな空気を発散している。
それを横目で見るたび、「殺意」としか言いようのないハバネロな空気がおれから発散していく。

大正浪漫夢通り

以前は銀座商店街と呼ばれていた商店街。その名の通り、歴史ある建物に何代も続く店などが連なり、映画やドラマの舞台にもよく使われる。

思えばここに並ぶ店には、文具屋の松定とレコード屋以外入ったことがない。それでもおれはこの通りの雰囲気が好きで、目的もなくよくふらふらと歩いている。
特に静まり返った深夜の雰囲気がものすごく好きなのだが、その時間帯と不健康でジャンクな容姿ゆえにここで三度も職質に会っている。
「うんうん、そうか散歩が好きなんだねー」という優しい言葉の次に「じゃあ、ちょっとポケットの中ぜんぶ見せて」がきたときの、あの空気の変わり方は見事だ。
もちろんおれのポケットから出てくるのは、鍵とか記憶にないクリップや輪ゴムとかなので、最後はまた優しくリリースされる。

一度「そんなに怪しかったですか?」と聞いたら「なんか歩き方がジグザグだったから」との答えが返ってきた。シラフなうえ、まっすぐ歩いてるつもりなのにこれはショックだった。
と色々書きましたが、こうやって日夜、市民の平和が守られてるのには本当に感謝しています。自分いつも立ち去る背中に敬礼してます。


大正浪漫通り 川越商工会議所

人力車

人力車

市内のアルバイト情報誌をめくっていると、ちょくちょく出くわす人力車の車夫募集。
土日の賑わう街並みを「どけどけいっ!」「らっしゃい!」「よお、ネギぼうず!」
といった感じに颯爽と駆けぬける江戸っ子な雰囲気がたまらない。

こんな文科系のおれにさえ、ちょっとやってみようかなと思わせる魅惑の職業。
でも体力のなさゆえに、憧れだけで断念。
チャリに乗りながら「らっしゃい」とつぶやいてる奴を見かけたら、それがおれです。
もしくはブタゴリラの父です。(キテレツ大百科参照)

スカラ座

スカラ座写真

県内最古の映画館。すさまじい哀愁とたそがれた外観を持つ。
シネマコンプレックスの台頭によって、「ムービーシアター」の味を知ってしまった川越市民。そんなこんなで閉館に追い込まれたところを、有志の人間が集まって不死鳥のごとく復活を果たす。亀田の柿ピーと日本酒が世界で一番似合う映画館。

個人的にはスカラ座のように昭和レトロな雰囲気を演出した映画館が、これから先増えるんではないかと睨んでいる。
その昔、人生初めての女子とのデートに使ったため、今でも甘酸っぱい思いが甦る。
あのとき熟考の末、あえてスカラ座を選んだ自分がなんだか愛らしくて微笑ましい。
そうそう、あの娘は結婚したそうです。
なにも変わらないのは、ぼくとスカラ座だけです。

川越城本丸御殿

川越市役所前にその像がたっている太田道灌によって作られた城。
広大だった川越城の敷地も、いまやその面影を残しているところはほとんどない。
元城内には住宅が立ち並び、おれの元クラスメートも知ってか知らずかけっこう暮らしている。
ただ本丸御殿だけは当時の姿のまま現存している。これはかなり稀なことらしい。
現在の地図に、当時の城の敷地を重ねたものを見ながら歩くと楽しそうだ。
その際には元南大手門近くの市立図書館を活用すると良いだろう。
一時期、図書館に入りびたりすぎて、見回りのおじさんと顔見知りになった。
おじさんはおれの将来を本気で心配してくれてた。

ちなみに川越城を建築した太田道灌。なんとこの方、かの有名な江戸城も建てている。
ローカルスターかと思っていたら全国区の大物だった。いやはやしかし江戸城とはすごい。現代の建築家でいえば故・黒川紀章氏というレベルのメジャー級建築家であろう。

――ごめんなさい、白状します。
知った顔でほざいたけど、実は黒川紀章以外、建築家を知りません。
――ごめんなさい、白状します。
「くろかわきしょう」で変換したら「黒川起床」とでてきてしまい、やむなく「のりあき」で打ちなおしました。
"一発変換できなくて、なにがメジャー級やねん"
"なんで黒川が起床したこと報告されてんねん"
"てゆーか、のりあきって誰やねん"
そんな心をかすめた罵倒は、すべて僕の心が狭いせいです。決して黒川紀章さんのせいではありません。もちろん、のりあきのせいでもありません。

太田道灌像 川越城本丸御殿

ヤオコー川越美術館

「買い物いってくるね」といえばヤオコー。
「スーパー」とくれば、マンでもなくマリオでもなくヤオコー。
向こうからやってくるマダムのチャリのカゴに入ったネギと大根の飛び出たビニール袋を見れば、ほらヤオコー。
ヤオコー、ヤオコー、ヤヤヤヤ、ヤオコー。

そんな埼玉県民の無きゃ生きてけない的な絶対的教祖的なスーパーがヤオコーである。
おれはつい最近まで全国レベルで知られているものだと思いこんでいた。それほどに県内では強大な力を持っている、スーパーという名がふさわしすぎるスーパーである。

知らねえよ、そんなマイナーな店。そう嘲笑した他県の方々に知ってほしいイベントがある。
その名もヤオコー大運動会だ。
ただの運動会と侮るなかれ。まず全店を休業させて開催するというガチな気合い。そして会場はまさかの埼玉スーパーアリーナだ。この時点で、ただことじゃないイベントというのが伝わってくるだろう。そしてなにはともかく、ゲストがすごすぎる。

2014年――KARA、田原俊彦
2015年――スターダストレビュー、Every little thing
そして司会は元日テレアナウンサー・福澤朗だ。

すごいでしょ。なんだか色んな意味ですごいでしょ。
どんなケミストリーを起こすのか、さっぱり予想のつかない組み合わせ。唯一自信をもって予想がつくのは、開会式で福澤アナが「ジャストミート!」と叫んだであろうことくらいだ。
朝起きたとき「なんでおれはあんな変な夢をみたんだろう」という時の、その変な夢を具現化したようなイベントだ。
ただそれにしても凄まじく豪華なメンツ。これはもう運動会じゃない。フェスだ。狂気すれすれのフェスだ。サマソニ、フジロック、ヤオコー大運動会だ。

そんなヤオコーがつくったヤオコー川越美術館。
入ったことはまだない。

ヤオコー

初雁球場

初雁球場

この近辺の球児たちの聖地。汗と涙がしみ込んだグラウンドは狭いながらも美しい。
夢中で白球を追いかけていたあの時の自分の目に、今のおれはどう映るのでしょう。
などと考え出したらもう負けだ。

すぐ隣には川越市民プールがあり、中学時代、野球練習後によく行った。
お調子者の友人Uが、セクシーなお姉さんにちょっかいを出していたら、旦那か彼氏と思われるガタイと威勢のいいチンピラが登場。
それを離れたところから見てドキドキワクワクしていたら、Uが猛ダッシュでこちらへ避難してきた。
「ふざけんな、バカ! いえ他人です! こんなボウズ知りません!」
そんなおれの必死の弁解もむなしく、二人そろってチンピラに捕獲される。
そして陰に連れてかれ、「家どこだコラ。埋めんぞコラ」などと散々脅された。
びびりにびびってテンパったUが口走った「ごめんなさい! あの、野球が気になってつい!」
という意味不明な言い訳は、今なお鮮明に心へ刻まれている。
あの場にいた全員に「?」が浮かんだ瞬間だ。

三芳野神社

三芳野神社

市民プールのこれまたすぐ隣にある神社が三芳野神社だ。
子供心に妙な恐怖を覚えた「通りゃんせ」の唄、発祥の地とされる。 他の神社と比べても、シンと静まり返っていて、どこか異様な雰囲気。 やはり唄のせいか、昔からこの場所には妙な恐怖心がある。

この境内で見ると、散歩してるおじいちゃんもブハブハ言ってる犬も、もしかしたら天神様の使者なんじゃないかと身構えてしまう。
なにより子供が1人で遊んでいるのを見るのは本当に怖い。
そいつが落としたと思われるガリガリくんの袋も意味ありげだ。いや拾えよ。
とにかく唄のせいだ。
行きはよいよい帰りはこわい。
この歌詞なんて、まさに市民プールでの出来事を予知していたかのようだ。

新河岸川

川越市に流れる川。昔は江戸からの物資の輸送に使われていた。船頭がギーコギーコと漕ぐ船が次々とやってくる光景は、想像するだけで風情がある。
輸送ツールとしての実用性は一切なくなったが、今でも市民にはおなじみの川で、天気のいい日ともなると老若男女バリエーション豊富な散歩を見ることができる。
川にはアヒルの親子がプカプカと浮かび、その親子におじいちゃんがパンをあげていたりと、とてものどかで牧歌的な光景が広がっている。

そういえば遠い昔、保育園の集団散歩の最中におれは新河岸川で溺れたことがある。
どのようないきさつだったかは忘れてしまったが、平和そうに浮かぶアヒルの親子の横を必死の形相で流されていく理不尽な恐怖感は、いまだにはっきりと覚えている。
それにしても改めて考えてみると、なぜそんなデンジャーな事態に陥ったのか。なぜ皆が陸地にいるのに、おれだけ水中なのか。
幼い頭では気づけなかったが、今思うと、なんだか事故というより妙な事件性を感じてくる。今更感はハンパないが、ちょっと大人の頭で推理してみよう。
うむむむ……考えろ、考えろ、もっと考えろ、おれ。ああ、じっちゃん、おれに力を貸してくれ。おいコナン、背後から針を撃ってくれ!早くしろバーロー。

うむむむ……はっ、そういえば川の付近には相当数の前科ありと噂されるあいつが住んでいた。
謎はすべて解けた!
真犯人は――河童だ!

新河岸川

川越市立博物館

市立博物館

川越のあれやこれやが展示している。川越の小学生はみんな一度は見学に行かされる。

うっすらとした記憶だと、たしか入場後すぐのところに極彩色の天海像がショーケース内に立っていた気がする。
当時はそれがなぜかツボにはまって、みんなで笑い転げたが、今思うとおもしろさがまったくわからない。
館内を走るなと注意されながら、なお全力で走った。スライディングをする馬鹿や、ペンケースの中身をぶちまける馬鹿もいただろう。
そして最後は必ず調子に乗りすぎたグループの中で、泣く奴か鼻血を出す奴が現れて祭りは終わっていくのだ。
あのエネルギー。笑い転げることも、全力で走ることももう何年もしていない。できる気もしない。
良い悪いうんぬんでなくて、今の体力であれができるとは思えない。大人だから「やらない」と思っていたことが、いつの間にか大人じゃ「できない」ことに気づいたそんな秋晴れの日。
背が伸びるほどに、空が高く遠くなるのはなんででしょう。涙がとまらないのはなんででしょう。

丸広

丸広写真

ロックスター、ポール・ウェラーはかつてこう言った。
「シングルレコードの発売は、いつだってイベントであるべきだ」うろ覚えだが。
そしてイギリスから遠く離れた地、ここ川越で小江戸っ子はこう言った、
「丸広来店は、いつだってイベントであるべきだ」と。

たしかに子供の頃、デパート来店はイベントで、そしてデパートといえば丸広だった。都内でも同じくらいの権力を持っていると思っていた。
さらば青春の光」というイギリス不良映画のラストで、主人公は憧れていたグループのリーダー・スティングがホテルの荷物持ちをペコペコやっている姿を見てしまい、うあーってなって、海に飛び込む。超うろ覚えだが。
たぶん川越市民は、西武や東武やマルイを初めて見たとき、誰もがそれと同じ苦い気分を味わったはずだ。
「ま、丸広兄さんが小っちゃく見える……うあーっ」と。
マルイにいたっては「oioi……お、おいおい?」――読めなかったに違いない。

ちなみに屋上の遊園地の昭和的さびれ感は本当に凄まじい。こればかりは一見の価値あり。
今の姿を是非とも後世に伝えていってほしいものだ。

七福神

七福神巡りは川越観光の中でも定石ともいえるコースだ。
寄り道スポットも多くあるので、コース選びに迷ったらコレだ。

昔から無性に七福神が好きだった。あの連帯感がありつつも個人主義な感じはすごく居心地がよさそうだ。 いつの日か電撃加入したい。
みんな釣り竿とか琵琶とか持っているところを見ると、オーディションは恐らく特技・一芸があることが必須であろう。
おれは、そうだな……ペン回しとか。あー負け負け。

七福神

喜多院

関東有数のパワースポットであり、川越市民の初詣といえば喜多院である。おれも毎年欠かさず行っている。
入り口には、かの有名なカリスマ大僧正・天海の銅像がたたずんでいる。川越史上最高の出世頭にして、最高の人格者。この荘厳な威圧感はただものではない。
一説によると、その正体はなんと明智光秀だとかそうじゃないとか。
そんな検証番組を前にテレビでやっていたが、なぜか検証結果については記憶が残っていない。
きっとCМ中に、情熱大陸あたりに目を奪われてしまったんだろう。
喜多院のお守りとTカードは持っておいて損はない。
日高屋の大盛り無料券も忘れるな。

天海の像 喜多院

仙波東照宮

日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。けっこう誇らしい。さすがは我らが天海大僧正って感じだ。思えば川越の街や市民の基本的気質の穏やかさは、この方の存在や教えが大きいのではないだろうか。
そして意外と知られていないが、童謡「あんたがたどこさ」発祥の地とされる。
石段を登った先に現れる、印籠でおなじみのあの家紋が背筋を伸ばさせる。日本人の五人に四人がこのマークを見た瞬間、水戸黄門のテーマが脳内にオンエアされるだろう。

「人生楽ありゃ苦もあーるーさー。……フーンフンフンフン」

四人のうち二人は歌詞がわからなくて、ハミングになるだろう。
とにかく、権力こそ真の力なり、という法則を子供心に鮮烈に刻み付けられた。昔、日光江戸村に遊びに行った際、印籠のレプリカを駄々をこねて買ってもらった。世界を手にした気分だった。おれはことあるごとに印籠を取り出し、最終的には教師に向かって突き出した。
モジャ頭の教師から「水戸黄門がいないんじゃ、それ意味ないじゃん。それより勉強しろ」とごく現実的に諭されたおれは、助三郎と格之進の無力さを恨むと共に、今度は光圀が欲しいと切に願った。
欲しい対象が女、車、金と移りゆくのはまだずっと先の話だ。

仙波東照宮 徳川家紋

成田山川越別院

喜多院の目と鼻の先にある通称・お不動さま。成田山新勝寺の別院の先がけ的寺院である。
本尊は不動明王で、火渡りや護摩修行(清原・金本・新井とかが、オフになると火にむかってムニャムニャ唱えてたじゃないですか。あの修行)など、タフな経験を積むことができる。

境内の片隅にはほこらがあり、縁結七福弁財天と水掛不動尊がまつられている。
そのほこらを囲む池にはたくさんの愛らしい亀が住んでいて、散歩途中のおじいちゃんから子供たちまで多くの見物客を集める、ちょっとした名物スポットとなっている。

岩の上でひなたぼっこをする亀、首をのばす亀、スイーっと優雅に泳ぐ亀……etc。
まったりほのぼのと日々を生きる亀たちを見て「亀さんの仲間になりたいなあ」と幼い頃よく夢想していたことを覚えている。
そして大人になった今、なぜだろう、あの頃よりずっと強い想いで亀さんになりたいと願う自分がいる。

小学校を卒業した時の夢は、飛行機のパイロットでした。
今は亀です。
とにかく仕事に行きたくないです。

成田山 成田山の亀

五百羅漢

五百羅漢

日本三大羅漢の一つに数えられる必見の観光ポイント。
笑ったり怒ったり、ちょっとスネたり、なんか持ってたり、そんな可愛らしい彼女のように色々な表情を見せる羅漢さまがいっぱい集まってる。
川越のAKBとも言われる。いや言われない。

喜多院の境内にあり、どれかひとつ自分にそっくりな顔があるらしい。
また深夜こっそりなでていくと、ひとつだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ているという言い伝えがある。
ただ拝観時間は決まっているので深夜に勝手に立ち入ってなでてると、真っ赤なサイレンが近づいてきてお巡りさんに優しく事情を聴かれることになる。

羅漢A 羅漢B

熊野神社

熊野神社

境内の中に複数の神社や輪投げ処や足ツボロードがある、さしずめ神社の小テーマパーク。マスコットキャラはサッカー日本代表のユニフォームでもおなじみの八咫烏(やたがらす)だ。

しかしここが人気の秘密はやはり「恋愛」にご利益があるというところがでかいだろう。あの老若男女問わず夢中になる国をも超えた偉大なゲームである。
怒る方もいらっしゃるとは思うが、おれは生粋の日本男児でありながら恋のお話(略して恋バナ)が大好きだ。
しあわせそうなカップルを見るのは大っ嫌いだが、それでもなぜか恋バナが大好きだ。
成功した後の後日談なんて一切聞きたくもないが、それでも恋バナが好きだ。
勝ち目のない恋バナほど好きだ。「ムリだ絶対」と確信しながら、無責任に背中を押すのが至福の時だ。
ごきげんようの司会を任されたあかつきには、サイコロの6分の5は恋バナで埋めたいと考えている。
(ちなみに今「ごきげにょう」とタイプミスしていたことに気づき、慌てて直した。ちなみにその前の「成功した後の」の部分も初め変換ミスで「性……」いや忘れてくれ)

菓子屋横丁

菓子屋横丁写真

「やっと着いた!」
「わーすごい!」
「もう終わった!」
でおなじみの昭和レトロな駄菓子屋が並ぶ路地。
知名度の割りにはかなり短い。さらっと見てしまうと十分もかからないだろう。
おれが小学生の頃はもっと店も多く、賑やかで活気があった気がする。
有名店「玉力製菓」の飴づくり見学に行ったのが懐かしい。 日本一長い「ふ菓子」が売っていて、休日ともなると「ふ菓子侍」や「ふ菓子忍者」で溢れかえる。
「秘剣・ふ菓子三刀流」な状態になっている苦々しい顔のお父さんを見ると、独身も悪くない気がしてくる。

蔵造りの町並み

蔵造り通り

蔵造りの建物が一直線に並ぶ、小江戸の中の小江戸といった風情あふれる川越のメインストリート。
川越に観光で来たら、誰もがとりあえず訪れる場所なので、ここには観光客から地元民、老いも若きも一緒くたになって闊歩している。
写真を見て気づいた方もいるだろうが、景観を守るために電線を地下に隠してしまっている。平日は意外と交通量があって結構危険である。 ここの道路を封鎖してしまうかどうかで、熱い議論が交わされているらしい。

ストリートに最新のファッションは付きものだが、ここでの主役はトップスでもボトムスでも、 シューズでもなく「ふ菓子」だ。
このインパクトにはあらがえない。
進みすぎたジャパニーズ・カルチャーがここにある。

家族シルエット カップルシルエット

レンタルビデオ・マニアック

マニアック本店

川越市内に三店舗あったレンタルビデオ屋。
いかがわしい名前のわりにファミリー向けの幅広く充実した品揃えを誇った。しかもTSUTAYAすらやっていない24時間サービスというのは、夜型のおれには超貴重で、光に集まるカナブンのごとく夜な夜なDVDを探しに店へと通った。

ここの会員証が人の目に触れるとあらぬ疑いをかけられるのがなんとも口惜しい。いったい何人の男たちが「それでもボクはやってない」と冤罪を訴えたことか。
いつの間にか全店舗消えていたが、名前が違えばあと五年は長生きできたんじゃないだろうか。
おれの財布には全店舗のマニアック会員証がいまだに残っている。
店がなくなった今となっては、ハイリスク・ノーリターンの爆弾みたいなものだが、思い出があるだけにどうしても捨てられない。

G7

G7の階段

かつて川越駅前から川越市駅にかけて数店舗あった洋楽中心のレンタルCD屋である。
高校時代、おれは川越市駅前店のヘビーユーザーだった。
狭い店内、きしむ床、空き家のようなほこりっぽい独特の香りはいまだに覚えている。今は喫茶店になってしまったが、店へと続いていたこの階段を見ると、当時のことを思い出す。
毎日がたまらなく不愉快で、充実とはほど遠かった高校生活で、唯一の楽しみがこの店にいくことだった。

ジャケットには店長が書いた一言メッセージ。それを読みながら、その日レンタルするものを一時間以上かけて選んでいた。
ビートルズ、ストーンズ、ザ・フー、オアシス、レディオヘッド、プライマル、ニルバーナ、レッチリ、ピストルズ、今でも毎日聴いてるメジャーどころも全部、この店でワクワクしながら手にとったのが最初だ。
顔色をうかがいながら、他人を恐れながら、なにをするでもなく憂鬱な気分で毎日を過ごしていた。電車で楽しそうに騒ぐ同年代に苛立ったし、妬ましかった。たぶんそんな時だったから、ロックにあれほど心を掴まれたのだろう。
鬱屈という言葉を爆発させたようなカート・コバーンの曲。「嫌われたいムカつかせたい」といわんばかりに誰彼かまわず挑発しまくるジョニー・ロットン。ジョン・レノンの狡さ弱さ人間臭さ。他の誰にもなれないんだから、自分でいろというノエル・ギャラガー。おれにはパートナーなんていないんじゃないかと歌うアンソニー・キーディス。
どんなに格好悪くて弱くて惨めでも、格好よく生きていける。それがわかっただけで十分だった。誰にどう思われたってかまわない。リアム・ギャラガーの気だるいファックサインは当時のおれにとって、好きなように生きてオーケーのサインに見えた。オアシスのライブアルバムを聴いて通学中に泣いた。
G7がなかったら、いまの自分は絶対なかったと思う。
逆に言えば、人生を狂わせたのもG7だと言える。
でも本当にありがとうございました。なくなったことが今でもすごく寂しいです。

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